なつかしのギリシア悲劇
基本的に本を捨てない私の本棚には、大学時代に読んだ本がいろいろ残っています。今回見た「オレステス」に出てくる台詞がいくつか気になったものですから、人文書院の「ギリシア悲劇全集」を引っ張り出してきて読んでみました。
「オレステス」の上演は、紀元前408年。アテネはスパルタとの覇権争いであるペロポネソス戦争の真っ只中にありました。
ギリシアの法を正しく代弁する人物は、クリュタイメストラとヘレンの父、テュンダレオスです。
「・・・なぜならアガメムノンが一命を落としたときのことだが・・・こいつは聖なる法にうったえ流血の罪に罰を加えて、母を館から放逐すべきだったのだ。そうしたら狂気の不幸には陥らずに正気であり得、また法にのっとり崇神を保ちえたはずである。」
「・・・妻たる女が夫を殺害した場合、今度はその子が母を殺し、このまた子が殺人に報いるに殺人を持ってするならば、災いの果てはどこまで進んで行くだろうか。これらのことを古の祖先はいみじくもお定めになったのである。すなわち殺害の血を流したものが、人目につくところに現れたり人に出遇ったりするのを禁じてこれには追放の刑を加え、仇討をしてはならぬと定められた。こうしなければ、いつまでも誰か一人が殺人罪に絡みつかれて、最後の汚れをその手で犯さねばならないからだ。」
次にオレステス。母殺しの動機をアポロンの神託に求めています。でも、どう読んでも彼の弁明には理がないと思われます。つまり、お祖父さんが判断の基準を法におくような、確固たる信念がないのです。
「・・・彼女は、全ヘラスのために館を空け武器を取って戦に赴いた夫を裏切り、閨を清浄に保ちませんでした。しかもその罪を知りながら自ら罰をうけようとはせず、夫から罰せられまいとして、私の父上を殺害しました。」
「アポロン様をごらん下さい。中央の臍座を占めて、人間どもに明らかなお告げを賜り、わたしどもはすべてあのお方の仰せにしたがう。」
このあと何度も、都合が悪くなるとアポロンを非難しています。これじゃ、自分勝手で何でも人のせいにする、どうしようもない若者じゃありませんか。
ポリスの全市民の前で上演されたギリシア悲劇は、その時代の市民たちの気分、おそらく厭戦気分を、かなり正確に反映しています。結局のところエウリピデスは、主義主張でガチガチ争うのは止めようよ、といいたかったのでしょうね。例のごとくに「機械の神様、デウス・エクス・マキナ」を登場させて解決を図っています。今回の神様は、オレステスに神託を授けたアポロン。「オレステスはアテナイに行って裁判を受けよ」というのは、第三国による調停を感じさせます。ギリシアの昔から、人間の考えることは少しも変わっていないのだとよく分かります。
「オレステス」が問いかけていること。それは、相反する二つの正義をどのように共存させるか、ということです。そこに、今の世界の状況を見据えて、この作品を上演する意義があります。ただ、芝居は隠喩でよい、というのが私の持論です。ゆえに、今回のように、国旗や国歌を撒き散らす演出は、好きじゃありません。頑張っていた俳優さんたちの演技、彼らが作り上げた世界を、一瞬にして壊してしまう。
商業演劇ですし、観客に多少なりとも危機感を伝えるには、一番良い方法だったのかもしれませんが。
「じゃぁ、あんたならどうするの?」と問いかけられると、答えはないんですけど。

