新書が増えましたね
先週末、風邪気味だなと思いつつお散歩に精を出しすぎたのがたたったらしく、本格的に風邪ひきさんになってしまい、つらい一週間でした。勤労感謝の日がお休みで、実働4日間で一週間を終えられて本当に助かりました。社会人としては、そんなことは言ってはいけないのでしょうが。
佐野正弘 「大人が知らない携帯サイトの世界」 (マイコミ新書)
最近、新書が増えていますが、このマイコミ新書というのもそのひとつ。出版元は毎日コミュニケーションズです。就職情報の会社、というイメージがあるんですけれど。新書は売れるんでしょうね。
「PCとはまったく違うもうひとつのネット文化」という副題がついています。トシの割には、PCや携帯の動向にはそれなりに興味があり注意を払っているつもりですが、やっぱりね、携帯の使い方は下手です。電話もメールも、家族との連絡が用途の9割くらいを占めています。残りは、友人。仕事には使いませんので、それ以外にどう使うのさ〜。
PCからネットにアクセスする人と、ケータイからアクセスする人では、属性が違うんだそうです。年齢だけでなく、PCオタクが牽引してきたPCサイトのユーザーと違って、iモードが出た頃からのケータイユーザーはそんなにITに詳しくないのだとか。要するに、使えればいいんですから。また、ケータイ世代は、仲間うちで「閉じた」コミュニケーションが中心。コミュニケーションの質も頻度も、薄く多くで、メールには直ぐに返事をするのがお作法らしい。
それが、現在の若者文化を反映しているのか、あるいは、そのような道具が若者文化を助長したのか・・・このあたりは社会学的にいろいろ見ていく必要があるのでしょう。
さて、最近は、ケータイ小説が書籍化されてベストセラーになるほどです。読んだことはありませんが、これまでの手紙→ファックス→メールという通信手段の変遷から考えて、それら「新しい小説」の言葉の質が落ちているのは間違いのないところでしょう。要するに、コミュニケーションの全ての場面で、話し言葉しか使わない世代が出現し、本当の意味での言文一致が起こりつつあるわけです。ところが、ここで起きている言文一致は、実は大変なことになる前触れかもしれないと、私は密かにココロを痛めています。妙なビジネス文書が氾濫するのも、書き言葉を知らないがゆえに語彙の乏しい人々が、増え始めたからではないかと思うのです。人間は、言葉を使って考え、論理を組み立て、思索を深めるのです。思考の道具としての言葉が、二極化するのはやっぱりまずいんじゃないでしょうか。
若い人たちの言葉には興味がないから、いいんだもん。そう言い切れれば、楽なんですけれど。
たむらまさき 青山真治 「酔眼のまちーゴールデン街 1968〜98年」 (朝日新書)
朝日新聞社発行の、これも新書。映画監督の青山真治が、映画カメラマンのたむらまさきから聞いた話を再構成したという体裁になっています。「一人の映画キャメラマンが新宿ゴールデン街から世界を見ている。本書はその眺めを本人の口から、映像ではなく祖独特の言葉手持って語れるのを聴く、という試みによってかたちづくられていった書物」だと、「エンドロールのかわりに」にあります。この二人、年の差が25歳あります。
たむらまさきさんというのは、小川紳介監督の「日本解放戦線 三里塚」でデビューし、その後、劇映画では「竜馬暗殺」「さらば愛しき大地」などを撮ったキャメラマンです。
三里塚なんて、今の若い人は知らないんだろうなぁ。成田空港のあるところです。三里塚は御厨があったことでも分かるようにとても豊かな土地で、突然、空港を作るから土地を差し出せ、と言われてもねぇ、というわけで激しい反対闘争があったのです。時代も時代でしたしね。
年寄りの繰言ではなく、妙に醒めているところや熱いところがあって、たむらさん、面白いです。ゴールデン街のこと、そこに集った映画人たちのこと・・・人のつながりで、仕事が回ってくるから、「ゴールデン街=ハローワーク」。
70年代は、日本の映画を考える上でも、面白い時代だったことを再認識。読んでください。
佐野正弘 「大人が知らない携帯サイトの世界」 (マイコミ新書)
最近、新書が増えていますが、このマイコミ新書というのもそのひとつ。出版元は毎日コミュニケーションズです。就職情報の会社、というイメージがあるんですけれど。新書は売れるんでしょうね。
「PCとはまったく違うもうひとつのネット文化」という副題がついています。トシの割には、PCや携帯の動向にはそれなりに興味があり注意を払っているつもりですが、やっぱりね、携帯の使い方は下手です。電話もメールも、家族との連絡が用途の9割くらいを占めています。残りは、友人。仕事には使いませんので、それ以外にどう使うのさ〜。
PCからネットにアクセスする人と、ケータイからアクセスする人では、属性が違うんだそうです。年齢だけでなく、PCオタクが牽引してきたPCサイトのユーザーと違って、iモードが出た頃からのケータイユーザーはそんなにITに詳しくないのだとか。要するに、使えればいいんですから。また、ケータイ世代は、仲間うちで「閉じた」コミュニケーションが中心。コミュニケーションの質も頻度も、薄く多くで、メールには直ぐに返事をするのがお作法らしい。
それが、現在の若者文化を反映しているのか、あるいは、そのような道具が若者文化を助長したのか・・・このあたりは社会学的にいろいろ見ていく必要があるのでしょう。
さて、最近は、ケータイ小説が書籍化されてベストセラーになるほどです。読んだことはありませんが、これまでの手紙→ファックス→メールという通信手段の変遷から考えて、それら「新しい小説」の言葉の質が落ちているのは間違いのないところでしょう。要するに、コミュニケーションの全ての場面で、話し言葉しか使わない世代が出現し、本当の意味での言文一致が起こりつつあるわけです。ところが、ここで起きている言文一致は、実は大変なことになる前触れかもしれないと、私は密かにココロを痛めています。妙なビジネス文書が氾濫するのも、書き言葉を知らないがゆえに語彙の乏しい人々が、増え始めたからではないかと思うのです。人間は、言葉を使って考え、論理を組み立て、思索を深めるのです。思考の道具としての言葉が、二極化するのはやっぱりまずいんじゃないでしょうか。
若い人たちの言葉には興味がないから、いいんだもん。そう言い切れれば、楽なんですけれど。
たむらまさき 青山真治 「酔眼のまちーゴールデン街 1968〜98年」 (朝日新書)
朝日新聞社発行の、これも新書。映画監督の青山真治が、映画カメラマンのたむらまさきから聞いた話を再構成したという体裁になっています。「一人の映画キャメラマンが新宿ゴールデン街から世界を見ている。本書はその眺めを本人の口から、映像ではなく祖独特の言葉手持って語れるのを聴く、という試みによってかたちづくられていった書物」だと、「エンドロールのかわりに」にあります。この二人、年の差が25歳あります。
たむらまさきさんというのは、小川紳介監督の「日本解放戦線 三里塚」でデビューし、その後、劇映画では「竜馬暗殺」「さらば愛しき大地」などを撮ったキャメラマンです。
三里塚なんて、今の若い人は知らないんだろうなぁ。成田空港のあるところです。三里塚は御厨があったことでも分かるようにとても豊かな土地で、突然、空港を作るから土地を差し出せ、と言われてもねぇ、というわけで激しい反対闘争があったのです。時代も時代でしたしね。
年寄りの繰言ではなく、妙に醒めているところや熱いところがあって、たむらさん、面白いです。ゴールデン街のこと、そこに集った映画人たちのこと・・・人のつながりで、仕事が回ってくるから、「ゴールデン街=ハローワーク」。
70年代は、日本の映画を考える上でも、面白い時代だったことを再認識。読んでください。
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