リヴィエラを撃て 

仕事が一段落した木曜日の夜、そうだ、やっぱり「リヴィエラ」を読もう、という気持ちが湧き上がってきました。先週、「ウルトラ・ダラー」なる小説を読んで、物足りなさを感じていたことも一因。イギリスから出張者があり、社外でのミーティングでEnglishmanやScotsmanに会う機会があったことも一因。何につけ、動機というものは、必ずしもひとつとは限りません。

4月21日−23日 高村薫 「リヴィエラを撃て」 (新潮文庫)

IRAのテロリスト、ジャック・モーガン。その恋人の中国人ウー・リーアン。世界的なピアニスト、サー・ノーマン・シンクレア。その刎頚の友、ダーラム候エードリアン・ヘアフィールド。ダーラム候夫人、レディ・アン。スコットランドヤードの幹部、ジョージ・モナガン。MI5のキム・バーキンとM.G。CIAの「伝書鳩」ことケリー・マッカン。その恋人のサラ・ウォーカー。MI6の《ギリアム》。警視庁の手島修三。

こうして挙げてみると、重要な登場人物の数だけも十指に余ります。これらの人々が、見えざる神の手に操られるごとく、触れ合い、騙しあい、殺し合い、あるいは助け合って織りなすいくつものエピソードが積み重ねられていきます。発端は1972年。そして、終結へと向かうのが1992年。20年にもわたる長い物語です。

大河スパイ小説とでも名づけましょうか…イギリス、日本、アメリカ、中国とさまざまな国の諜報機関が絡みあう国際政治の裏側。それらの機関のエージェントとして働く人間たちがいる。そして、《リヴィエラ》というコードネームをもつ白髪の東洋人スパイの正体とそこにまつわる疑惑を暴こうとする過程で、彼らの運命が交錯していきます。

ついに《リヴィエラ》を巡る真相にたどり着くことができたのは、手島とモナガンの二人だけでした。

多くの登場人物が、命を賭して真相を探ろうとしたのに対し、《リヴィエラ》のなんと無責任なことか。彼は、自分は表の外交に携わっていたのであり、濡れ衣を着せられただけだと、死者たちに対する哀悼の気持ちを示すこともなく、手島に向かって、自分が関わりをもった人々のことを淡々と語ります。自らの手を汚すことなく、国際政治の暗部を理解することなく、常に庇護者を求め、責任は他に転嫁し・・・外務省から大学教授に転じたこの男の言葉は、日本という国の姿勢そのものであるような気がしました。恥知らず、というと言いすぎですが。

多くの人の血が流れます。が、目を閉じれば、北アイルランドの緑の山々が浮かび、ブラームスのピアノ協奏曲が聞こえてくるような気がします。ジャックとリーアンの東京での日々は長くはなかったけれど、彼らがひとときでも平穏で幸せな暮らしができたことを喜びたいと思います。そして、ジャックの遺児を引き取った手島の、北アイルランドの厳しい自然のなかでの暮らしが、心穏やかなものであることを祈ります。

2006/04/23 20:28 | COMMENT(1)TRACKBACK(0)  TOP

また本が読めない・・・

今年は、本のあたりがよくありません。自分好みの本を、わざわざ避けて通っているような気がします。期待はずれの本多し。そんな本を選んだ自分を恥じています。

というのは、少し大げさですが。

動きが多すぎて長ーく感じられる今週、手に取る本すべて、終わりまで読み通せません。やっぱり疲れているのでしょうか…

仕方がないので、寝る前に、コミックばかり読んでいます。困ったときのカーラ教授こと川原泉さん。それに「きょうの猫村さん1」。ほしよりこさんという方のコミックです。

川原さんは、ご自分で教授などとおっしゃるだけのことはあり、博識です。お勉強させていただけます。結局、白泉社文庫の「美貌の果実」「中国の壷」「バビロンまで何マイル」の3冊を読んでしまいました。川原さんのコミックの面白さを、万人に知らしめたい!

今話題の猫村さんは、へーんな漫画。絵が下手。ヘタウマでははく、本当に下手。雑。でも眺めているうちに、そんなことは忘れてしまいます。

あと一日! こんなに週末が待ち遠しいのは、久しぶり。

2006/04/20 23:06 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

フラメンコの魅力

昨晩、アイーダ・ゴメスの「カルメンを見てきました。
友人がフラメンコを習い始めるきっかけを作ったのが、2年前に見たアイーダ・ゴメスの「サロメ」でした。今回の「カルメン」のほうが、話が分かりやすいのと音楽が耳になじんでいるためか、余裕を持ってみることができたような気がします。踊れる人がうらやましい。

アイーダ・ゴメスの踊りからは、モダン・フラメンコという感じを受けます。しかしながら、やはりフラメンコは情念の踊りですね。男も女も、お互い一歩の引かずに自分の情念をぶつけ合っています。その緊張感のすばらしさ!日本舞踊のように型から入るのではなく、感情と踊りが結びついているから、ダイレクトに見る人の心にも届きます。

相手役では、エスカミーリョを演じたプリミティボ・ダーザ(と読むのか?)がとても気に入りました。スペイン男の色気を感じます。プロフィールから判断すると相当のベテランだと思われますが、とても動きがやわらかいのです。そして、決まる。
残念ながら、ホセ君のほうは、私の好みではありませんでした。

亀ちゃんも本格的にフラメンコを習えばいいのに。
彼の踊りは、まだまだ力の入りすぎていることが多いですけれど、速さと切れのよさがありますから、きっといい踊り手さんになると思うのです。こないだからTVで時々見せる「青春アミーゴ 一人Version」もどちらかというとスペイン風ですし。
いかがでしょう?

2006/04/15 13:39 | 舞台COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

濫読

桜が終わったとたんに、プライベートも仕事もめったやたらと立て込んで、疲れが蓄積しています。夕方になると、眠い。アタマがついていかない。鏡を見ると、あぁひどい顔をしているなぁ、トシだなぁと感じることしきり。ずっとお天気がすっきりしないのも、よくないのでしょう。どうも取り留めなく時間が過ぎています。

4月10日−12日 手嶋龍一 「ウルトラ・ダラー」 (新潮社)

知人からサイン本をいただきました。ありがたく拝読。
著者は、長く報道の世界に居られた方で、これが小説としては処女作ということになります。フィクションだったらどこまで書けるかという意味では、壮大な意図を感じます。

春江一也さんという元外交官に、東欧を舞台にした連作があります・・・プラハの春、ベルリンの秋、ウィーンの冬。この方の場合も、外交官時代の実体験をもとに、それを膨らませて物語を作っているのですが、手嶋さんもおそらくそのような形を狙っておられるのだと思います。続きのありそうな終わりかたですし。

そうですねぇ、処女作ということで、手持ちのカードを全部突っ込んでみました、という感無きにしも非ず。もう少し、小出しにしてもよかったのに・・・
さてさて国際スパイ小説、こうしてみると、高村薫さんの「リヴィエラを撃て」は、なんと完成度が高かったことか。

4月13日 草薙厚子 「少年A 矯正2500日全記録」 (文春文庫)

最近では、少年AサンやBサンやCサンや、子供が犯罪を、それもおぞましいほどに凶悪な殺人を犯してしまう事件をよく目にしますが、これは、日本を震撼させたあの1997年の神戸事件の少年の矯正の記録です。著者は昔、少年鑑別所法務教官を務めていたことがあるそうです。ですから、鑑別所や医療少年院のことはよくご存知。お役所の資料よりは、一般人にも分かりやすい言葉で、少年Aと彼を支えたスタッフの長い「矯正」への道のりをつづったものです。記録と銘打っておられますが、書けないこともたくさんあるのでしょうし、これもどちらかというと小説向きの素材かもしれません。まぁ、村上春樹さんの「アンダーグラウンド」というノンフィクションもありますが。

矯正」って言葉、好きじゃないなぁ。人間は盆栽のように、外から手をかけて矯めたり正したりできるものでしょうか?

2006/04/13 22:58 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

自分自身への審問

頭の芯が痛い。日本酒を飲んだ後はいつものことです。昨日は深酒をした覚えはないのですが・・・出かけそびれたので、時間をもてあまし気味。こういう時に、辺見庸さんの新著のことを書いておきましょう。

4月7日−8日 辺見庸 「自分自身への審問」 (毎日新聞社)
辺見さんは、現在闘病中です。2年ほど前、公演中に脳出血で倒れ、リハビリ中に今度は癌が見つかり手術。ご本人の言によると、「この2年で体重を15キロ失い、少なくても10年分は老けた」そうです。そのような状況のなか、「右手が使えないから書くのではなく、ポツリポツリと超スロー・ペースでパソコンを打」ちながらしたためたのがこの本です。



脳出血後、辺見さんの病状は決して軽くはなかったはずです。普通の人間なら、多少なりとも身体的な機能が回復すればそれでよしとして、ただ生ある日々が繰り返されていくだけで満足してしまいそうなものです。しかし、幸運にも言葉を失わずにすんだ辺見さんは自分に問いかけることを止めません。記憶について、死について、この国のあり方について・・・ なんという気力、なんという真摯な生き方でしょう。卑しくも知識人あるいは文化人と称される人々のうち、ここまで突きつめて考えている人がどれだけいることか!

横浜で辺見さんの講演を聞いたことがあります。倒れる数ヶ月前のことでした。辺見さんは、いくつかの風景を例にとりながら、9.11以降の世界の危うさについて、この国が歩もうとしている「いつか来た道」について、低い力のこもった声で警鐘を鳴らしていらっしゃいました。一過性の怒りではなく、心の内に籠められた持続する怒りを、言葉の端々から聞き取ることができました。この人は、相当な覚悟をもって、ものを書き語っているのだと、心を打たれたことを覚えています。

どうぞまた書いてください。回復されたら、また話を聞かせてください。

2006/04/09 19:22 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

日曜日

3月に入ってから、ぱったりと映画を見なくなっています。理由は簡単。HDDに録りためたKAT-TUNのTV番組がいつも流れているため、TVの空く時間がない!
その間、DVDはずいぶん増えました。昔の作品だと、最近は安いのよね〜。この分だとゴールデンウィークは家で映画、かなぁ。

4月5日−6日 吉田修一 「日曜日たち」 (講談社文庫)
久しぶりの吉田修一さんです。結局またまた文庫本です。現役バリバリの作家さんの場合、新刊もどんどん出ますが、その作家さんへの興味が薄れたときに本を抱え込んでいるのがしんどいなぁ、と。つまり、限りあるスペースマネジメントの観点から考えますと、やはり効率がよろしくないのでございます。というわけで、結局文庫が出るのを待つことになってしまいます。ええ、そのような考え方はいかがなものかとは存じておりますのよ。なんてね。

さて、「日曜日たち」。連作です。ある日曜日、それぞれのエピソードの主人公たちがちょっとした何かをきっかけに、ふと昔のことを思い出す。思い出した風景のなかには、母親を探しに九州から家出をしてきたらしい小学生の兄弟がいる。最後のエピソードで、その兄弟の今の姿が分かるという仕掛けです。これが、副旋律。主旋律を奏でるのは、もちろん、30代の、無職の青年だったり、かかわりを持った女性たちに振り回されるように住む街や仕事を点々とする青年だったり、天職というほどではないにせよ自分の仕事を見つけたことで、故郷へ帰ることになった女性だったり・・・
吉田さんは、なんでもない日常をひょいと掬って、大げさに言えば人生の機微を描き出すのがとても上手です。

今日も日曜日です。普通の日曜日。洗濯して、掃除して、食料の買出しをして・・・名残の桜でも見てきましょう。

2006/04/09 12:23 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

ついに夜桜・・・

一週間と一日ぶりの千鳥が淵、ついに今年初の夜桜見物です。地下鉄半蔵門の駅に集まり、英国大使館の裏手を通って墓苑入口の交差点から千鳥が淵の遊歩道に入り、九段へと抜けていくのがお決まりのコース。

桜は、満開の時を過ぎたところ。月でいうなら、十五夜を過ぎて十六夜というあたりでしょうか… 葉桜が出始めたり、散り始めたりしています。それでもなお、ここはやはり、どこよりも美しいという気がします。年輪を重ねた桜だけでなく、北の丸公園側の緑、お堀の水、すべてが調和して、ライトアップに映えて本当に幻想的。

もう、そぞろ歩きの人の波も、そんなに多くはありません。ほとんどの人が九段側からやってきます。半蔵門側から九段へと抜ける人は、はるかに少なく、その分空いていて歩きやすいこと。

残念ながら、今夜携帯カメラで撮った写真は、ピンボケできちんと写ったのものは一枚もありませんでした。

カメラで切り取った風景が定着するよりも、直接記憶に焼きついて残る風景があれば、それでいい。そんな強がりを言いつつ、まぶたの裏にはさっきまで見ていた桜のあでやかさが浮かんでいます。

2006/04/04 23:22 | 雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

団塊ひとりぼっち

サクラが開花した3月21日から今月2日までの13日間で、計73人もの人が急性アルコール中毒で救急車のお世話になったそうです。毎晩、風が冷たくて寒いですからねぇ。燃料の補給に精を出してしまうのもむべなるかな、でございます。

4月1日−3日 山口文憲 「団塊ひとりぼっち」 (文春新書)
語り口は洒脱。すらすら読めます。うっそー、というより、そうそう、と相槌を打つほうが多いし。でも、奥は深いですよ〜。こんなにも生き生きと、かつ、私たちが共感できる団塊論は初めて読んだかも知れません。文憲さん、やりましたね! 私も嬉しい。

アメリカのベビーブーマー作家、ティム・オブライエンの「世界のすべての七月」を訳した村上春樹サンが、「人は生き続けるために、燃料としての記憶を切実に必要としている。」と訳者あとがきに書いていると、文憲さんが紹介しています。
燃料としての記憶。
なるほどね。大学のサークル仲間との飲み会が復活し定着したのも、私たちの絆が、同時代の記憶を共有していることにあるからでしょうか。

この本は、面白うてやがて哀しき…ですが、一読の価値あり。

2006/04/03 23:00 | COMMENT(1)TRACKBACK(0)  TOP

お花見いろいろ

3月の暖かさで、咲き始めが早い早いと言われた今年の桜。そのあとがいけません。月、火、水とどんどん夜の気温が下がって風が強くなり、お花見Weekは、我慢比べWeekの様相を呈していましたが・・・

それでも、一度日にちを決めたら予定通りにやるのが会社の花見。これは、ライトアップもないのに、(なぜか)毎年新宿中央公園。食べたいもの、飲みたいものは持参するのが決まりです。30日の木曜日、寒風吹きすさぶなか、決行いたしました。発起人数名は、5時直前に退社。私たちは第2陣。到着したのは6時を回っていましたが、満開の桜の下に陣取った第1陣は寒さで既にヤケッパチ状態です。手回しよく真冬用の防寒コートを着てきた人も、コートの下に新聞紙を着込んだ人も、「寒い、寒い」と正座して、ひたすらアルコールを摂取。

ストールを頭からかぶり、菓子パンかじりつつ、ワインの小瓶(ヒコーキのなかで出てくるサイズです)をラッパ飲みしていたら・・・同僚が言うのです。「ホームレスのオバちゃんそのものですねぇ。
実は、当日の私のファッションは、いわゆるグランジというやつで、コートは裁ちっぱなし、ストールには穴。それを見て、貧しげな格好と思ったらしい。ファッションセンスのない人は困ります。

寒さに打ち克つには騒ぐしかないというわけで、飲み、高歌放吟に精を出し、遅れてきた若者組が合流したところで、室内へと(つまり居酒屋へと)移動しました。「あったかいものを」とおでんと熱燗で人心地付いた賑やかな一夜でした。

週末ならこの日しかなかった、とピンポイントでタイミングが合ったのは、大学時代のサークルの仲間との花見。エイプリルフールの4月1日に集まりました。
毎年、このグループで都内名所めぐりをしていますが、今年は浜離宮に行くことに。 新橋で待ち合わせて、汐留のビルを右手に見ながら進んでいくと、公園の入口へとつながる歩道橋あたりから、早くも行列です。みんな、考えることはおなじなんですね。

モノレールから見ることはあっても、入園するのは初めての浜離宮。 「高層ビルと桜」は「あり」です。でも、菜の花畑から見る高層ビルって…? 八重桜のつぼみがかわいらしく膨らんでいました。エアポケットに落ち込んだような、ちょっと奇妙な感覚。

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花見のあとは、築地市場の場内にある「市場の厨房」なる店で マグロの食べ比べ、かき揚、かんぱちのかぶと煮など堪能し、もちろんお酒もどんどん進みます。 みんな、変わらない。変わるのは体型だけのようです。あとは、恒例のカラオケナイト。マイクを持っている人も持っていない人も、ひたすら歌い続けて、お開きに。これまた、楽しい春の一日となりました。

今週火曜日に、もう一度千鳥が淵に行きます。ライトアップされた遊歩道を散策して、居酒屋で飲むというスタイルで続いている仕事関係のお花見。今日の冷たい花散らしの雨に耐えて咲き残っている花を愛でることができればよいのですが。

人生いろいろ、お花見もいろいろです。

2006/04/02 23:16 | 雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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