平成中村座

ココロが挫けないように、必死で「遊び」気分転換を図る日々。健康診断の日、仕事はお休みにして「生活習慣改善ねぇ」と、思いつつ・・・

通し狂言「仮名手本忠臣蔵」 @平成中村座

浅草は浅草寺の境内、本堂裏手に江戸時代の芝居小屋を模して造られた平成中村座。そこで興行を打っているのは、勘三郎を座長とした、中村屋一門の面々です。今月の出しものは、「仮名手本忠臣蔵」。それを、AからDまでの4つのプログラムに上手に切り分けて、日替わりで上演しています。

歌舞伎は久しぶりに観ましたが、なかなか楽しいひと時でした。私の観たBプロは、おかる勘平のエピソードを中心としたプログラム。とにかく、ホンがよくできています。六段目、勘平が切腹して果てる筋立ては、いわゆる勘違いの悲劇というやつで、普遍性のあるものです。また、七段目の一力茶屋の場は、歌舞伎らしい華やかさもありながら、プロットが緻密に組み立てられていて、ここだけ見ても満足感の高い一場。繰り返し上演されるわけです。また、長唄だとどうしても間延びした感じを受けてしまうのですが、語りが浄瑠璃だというのがよいですね。そういえば私、文楽が好きだった…

勘三郎は、本当に器用な役者さん。仁左衛門は品格があり、勘太郎・七之助の兄弟は伸び盛り。橋之助は奮闘。孝太郎のおかるは、とてもコケティッシュで愛らしい。肩肘張らずに、歌舞伎の楽しさを満喫できました。

観客には、さすがに、着物の方が多い。浅草寺もライトアップして、華やいだ雰囲気の浅草Day!

2008/10/18 23:27 | 舞台COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

秋に似合う芝居

秋晴れの日曜日、日比谷のシアタークリエでノエル・カワード原作の「私生活」を見てきました。

私生活」 @シアタークリエ 

原作: ノエル・カワード 演出: ジョン・ケアード 出演: 内野聖陽/寺島しのぶ/中嶋朋子/橋本じゅん 


ノエル・カワードのいわゆるウエルメイド劇を、芸達者な内野・寺島・橋本といった役者さんたちがどう料理するか興味があって、チケットを取ったのですが、皆さん、なかなかのものでした。それぞれ役の人物になりきっているのに、役者さんたちが楽しんで演じているのが伝わってきます。こういう芝居では、それが大事!娯楽ですもん。

フランスの保養地、ドービルの美しいホテルに新婚の夫婦が二組。ひと組目、夫のエリオットが再婚、若い妻のシビルは、夫の前妻のことが気になって仕方がありません。隣の部屋には、妻のアマンダが再婚、という夫婦。やはり夫のビクターは、アマンダの前の夫のことが気になります。何という皮肉か、エリオットとアマンダの二人が元夫婦だったのです。お互いに、今の相手とは気持ちのすれ違いを感じていた二人。やっぱり君が、あなたのほうがよかったわ、とばかり駆け落ちをしてしまいます。アマンダの持つパリのフラットに落ち着いた二人ですが、自己主張の強い二人のこと、しばらくするとまたぞろ喧嘩が始まります。そこへ、シビルとビクターがやってきて、さて、元の鞘に収まるのは元夫婦か、それとも・・・

というわけで、最後のシビルとビクターの代理戦争と大団円(他にことばが見つかりません)まで、すべて予想通りにお話は展開していきます。飽きませんでした。会話がシャレています。かなり声を上げて笑いました。

男と女の気持ちは、公式では解けません。情熱的な抱擁と殴り合い。その落差の激しさが、二人の愛情の激しさかもしれません。それだけ相手に関心があるってことですから。

劇場について一言。
元の芸術座です。改築・改装されて、シアタークリエとして生まれ変わったわけですが、劇場内は、通路を犠牲にして、座席をぎりぎりまで増やしたという感じでいただけません。壁際の席だと、何人もの人に「すみません」と言いつつ出入りしなくてはならないわけで、それに、座席ももう少しゆとりが欲しい気がしました。お値段が高いだけに、それが不満でした。女性用のトイレはうまくできているし、案内の人たちもしっかりしているんですけれどね。

2008/10/14 23:51 | 舞台COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

人形遊びは誰のもの?

こんなに忙しくなる予定ではなかったので、秋のお芝居は早めに手配していました。たとえ疲労困憊していようとも、何としてでも参りますとも、というわけで、第一弾。

人形の家@シアターコクーン

作:   ヘンリック・イプセン   演出:  デヴィッド・ルヴォー
出演:  宮沢りえ/堤真一/山崎一/千葉哲也/神野三鈴/松浦佐知子/明星真由美/他


有名な戯曲ですけれど、白状するとこれまで一度も読んだことも見たこともありませんでした。もちろん、最後にノラが家を出るということ、そして、これが女性の自我の目覚めを描いた初めての戯曲だと言われていること、そのくらいの予備知識で、コクーンへ。

シス・カンパニーのWebからのあらすじです。(手抜きです)

まもなく銀行の頭取に出世しようという弁護士ヘルメルとその妻ノラは、3人の子供と共に、仲むつまじく幸せな生活を送っていた。だがノラには、愛する夫には決して言えない秘密があった。かつて夫が重病に罹ったときに、その治療のため、内緒で夫の友人から借金をし、しかも、その借用証書に、臨終の床にあった父親の署名を捏造していたのだ。それ以来、日々の生活では、借金返済の工面に追われながらも、なんとか平穏に過ごしてきた。
ある日、その借金相手・クロクスタが、夫ヘルメルによって職を追われかけ、秘密の暴露とひきかえにノラに、復職を夫に働きかけるよう迫ってきた。秘密が露見することで、これまでの幸せな家庭が破滅することに恐れ悩むノラ。だが、心の中では、もし夫がこの秘密を知ったとしても、夫は自分への愛のために、必ず自分を擁護してくれるものと強く信じていた。やがて遂に、夫の手元に、グロクスタから暴露の手紙を届く。そして、ノラは夫の真実の姿と、己がこれから取るべき道を知ることとなる・・・・。


四角いリングのような舞台が、劇場の中央に設けられています。つまり、通常舞台である部分は、舞台ではなく観客席になっていて、幕開きとともに、舞台が回ります。まずそうやって観客を脅かしておいて、舞台は観客席ときっちり平行する位置で止まりました。よかったよかった。そのまま舞台が回り続けると、演じている人も観客も目が回りますから。(その後も時々、舞台は回ります。客席との角度が45度になったこともありました。)

「お金」「お金」というノラに、ノラってこんな女性だったの、と違和感を覚えたのですが、幼なじみのリンデ夫人が登場し、打ち明け話をするうちに、ノラが借金をしていたことが明るみに出ます。このリンデ夫人が、ノラの人生を大きく変えていくことになります。夫を亡くし、財産もないリンデ夫人は、ノラの夫ヘルメルが銀行の頭取になったことを聞き、伝手を求めてノラを訪ねてきたのです。

女は借金もできない。だから、ノラは父のサインをねつ造して借用書の形式を整えなければなりませんでした。夫のヘルメルは、ノラを「僕のかわいいヒバリ」と呼んで甘やかす一方で、細かなことにまで「〜をするな。〜してはいけない。」と命じる尊大な夫です。典型的な男尊女卑思想の信奉者がそこにいます。ノラは、そんな夫に逆らわないふりをしつつ、「金遣いの荒い」妻を演じながら、借金を返しています。ノラのサインねつ造を知ったヘルメルは、怒り、世間体を気にし、ノラのような女に子供は育てさせられないとまで言い募ります。それまで、「僕を頼りなさい」と言っていた男の本質は、こんな程度のものでした。

なんと、リンデ夫人は、ノラの敵であるクロクスタのかつての恋人だったのです。再出発を誓いあった彼ら二人は、皮肉なことに、世間体を気にするヘルメルを、社会的には救い家庭的には破滅させ、そして同時にノラには自立を促すという、きわめて重要な役回りを演じます。ああ、そういう筋立てのお話だったのね・・・このあたり、イプセンの作劇はなかなか面白い。

演出は、さすがデヴィッド・ルヴォー、と思わせるものでした。特に印象的だったのが、家を出る前にノラが夫と対峙するシーン。舞台の中央に椅子が二脚、向かい合って置かれています。こんな風に向き合って、正面から相手をみて話をすることの大切さが強調されています。本音で話す妻と、建前に終始する夫。現代の夫婦間の会話として聞いても、少しも違和感のないやりとりでした。要するに、男と女の関係は、あまり変わっていないということ?

役者さんは、脇を固める人たちが皆さん、お上手でした。クロクスタの山崎一さん、リンデ夫人の神野美鈴さん、ドクター・ランクの千葉哲也さん、それぞれの人物造形が見事でした。堤真一さんは、今回は受けの演技に徹したという印象。それがうまく宮沢りえさんの大熱演を引き出していました。彼女、声にもう少し深みがあれば言うことなしですけれど、それはないものねだりというものでしょう。

ともあれ、久しぶりにとても満足度の高い観劇。演出家の力を、そこここに感じたお芝居でした。

2008/09/14 23:41 | 舞台COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

劇場の広さ

赤坂サカスって、何よ。
名前が気に入りません。なんでもカタカナにすればいいってもんじゃない。
ぶつぶつ言いつつ、出かけて行った千代田線の赤坂駅は、すっかり様変わりしていました。改札口を出るとすぐにゆるやかな幅広の階段が始まり、人波はそのまま、サカスとやらに飲み込まれていきます。

TBS会館のトップスにカレーを食べに行くのが、贅沢だった時代もありました。トップスは、今やデパ地下でチーズケーキを買う店になってしまいましたが、カレーを食べられる店もあるのでしょうか?

チェーホフ 「かもめ」 @赤坂ACTシアター

作:アントン・チェーホフ 演出:栗山民也 出演:藤原竜也/鹿賀丈史/美波/小島聖/中嶋しゅう/藤木孝/藤田弓子/たかお鷹/勝部演之/麻実れい

開演前、案内係のおねーさんが声を張り上げて、客を誘導しています。まだソフトがついていっていないみたいね〜、と思いつつ席へ。2階の、それも相当に後ろの方の席でした。2階席は、他の劇場に比べるとはるかに勾配が急です。なにやら、鹿島スタジアムの2階席からピッチを見下ろしているような気がしました。それだけ舞台はしっかり見えるということなのですが。

さて、栗山民也演出の舞台は、いい役者さんを揃えた贅沢なものでした。美波チャンは、去年「エレンディラ」で初めて見て、へぇ〜っと思った若い女優さん。今回は、前半は初々しく、後半はどこか投げやりにニーナを演じています。トレープレフ役の藤原くんは、本当に、いい役者さんになったわねぇ。ミーハー的な人気もありますが、演技者として、若手俳優の中では出色。トレープレフの母で大女優のアルカージナは、麻実れいさん。この人の声は素晴らしい。とにかく、出演者全員、とてもよい味を出しています。鹿賀丈史が平凡に見えるくらい。

この「かもめ」は、さまざまな対立を内包した劇です。アルカージナに代表されるエスタブリッシュメントの身勝手さと、彼らに歯の立たない息子トレープレフの絶望。ニーナも、憧れと現実は別のものだと思い知らされて、戻ってきます。つまり、若い二人は共に挫折してしまうわけです。若者のエネルギーが行き場を失ったように見える現代の寓話としてみると、なかなかに面白いかもしれない。

役者は好演、今の時代にチェーホフも意味あり・・・でも、だから何なの?なにか、引っ掛かるものが残りました。今の観客にこれを伝えたい、というメッセージが希薄だったからかな、などど、帰り道、つらつらと考えていて、やはり、劇場が大きすぎたことが一番の違和感の原因ではないか、と思い至りました。人気俳優をそろえ、集客の見込める芝居でも、やはり入れ物の大きさも考えてほしかった。

渋谷のオーチャードホールでは、ストレートプレイが上演されることはないように思います。そのあたりが劇場側の見識の差なのでしょう。

2008/07/06 12:59 | 舞台COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

時代

めぐるめぐるよ 時代はめぐる
別れと出会いを繰り返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ
 

中島みゆきさんの名曲、「時代」の一節です。引用した部分、全共闘への挽歌だとか応援歌だとか言われたものですが・・・先週、清水邦夫さんが1980年頃書いたお芝居の再演を見ていて、この歌を思い出しました。

わが魂は輝く水なり-源平北越流誌@シアターコクーン
作:清水邦夫 演出:蜷川幸雄 出演:野村萬斎/尾上菊之助/秋山菜津子/大石継太/ 長谷川博己/坂東亀三郎/廣田高志/邑野みあ/二反田雅澄/大富士/川岡大次郎/神保共子/津嘉山正種



昔々、現代人劇場という劇団がありました。座付作者が清水邦夫さん。まだ演出家になりたての蜷川さんは大胆な演出で注目を集めていましたが、それは清水さんの優れた戯曲があったからこそできたことでもありました。

考えてみると、蜷川さんは劇作者を選んできた人です。誰のものでも何でも演出します、というタイプの人ではありません。清水邦夫、秋元松代、井上ひさし、寺山修司、シェークスピア、ギリシア悲劇・・・ほら、大体こんなところじゃないでしょうか。とりわけ清水邦夫さんとは、蜜月も離別もありました。でも、ある程度の年になると、同志としか言えない間柄。

この芝居は、清水さんが正統派新劇の劇団である民芸のために書き下ろし、宇野重吉さんの演出で初演されたものです。今回萬斎さんが演じた斎藤実盛の役も、宇野重吉さん。五郎が伊藤孝雄さん、巴が奈良岡朋子さんって…一見の価値のある配役ですね。

これは、源平の戦いの時代、木曽義仲軍に勢いのあったころを題材にしているのですが、明らかに70年代の連合赤軍が下敷きになっています。こういう尖がった時代のお芝居を、今再演する理由は何なのか、と一緒に見に行った友人が首をひねっていました。ひとりひとりがバラバラで妙に悟り済ましたようなところがあって、集団としての目標や熱気が失せてしまった今だからこそ、蜷川さんは再演する意味を見出したのかもしれません。

実盛の「美しい森の国」の幻想にふさわしく、舞台は美しいものでした。何にもまして清水邦夫さんの台詞が美しい。萬斎さんは口跡も良く堂々たる役者ぶり。菊之助、亀三郎の二人の歌舞伎役者には華があり、巴を演じた秋山菜津子さんからは激しさの裏に秘めた悲しみが透けて見えるようで・・・

ただ、蜷川さんの得意とした、猥雑な民衆のエネルギーの発露が、どこかへ行ってしまったように思えたのはなぜでしょう。照明も装置も美しい舞台が、エネルギーを結晶させその中に閉じ込めてしまったようです。

じっとしていても時代は回らない。そうね、わかってますってば。
さて、われら団塊の世代、生まれ変わってもうひと旗揚げる時は来るのでしょうか。

2008/05/20 23:55 | 舞台COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

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