母と娘

Jリーグも大詰です。今日も、アントラーズの試合が放送されました。優勝を争っているチームと、降格争いの真っただ中のチーム・・・今年はすっかり差がついてしまいましたが、アントラーズvsジュビロって、一昔前のゴールデンカードじゃありませんか。天気が良くて家事もサクサク片付いていたので、ゆっくりTV観戦。ジュビロの中盤の守備はサスガでした。ジュビロは、点を取るというよりも、点を取られないサッカーをしていましたけれど、勝負は、ロスタイムのフリーキックからゴールを決めたアントラーズの勝ち。やっぱり、攻めないとダメなのよ。

佐野洋子 「シズコさん」 (新潮社)

佐野洋子さんの絵本は、「100万回生きたねこ」だけしか読んだ覚えがありません。ムスメが小さい時には、ずいぶんたくさん絵本を読んでやったので、もしかしたら他にもあったかもしれないと思うのだけれど、絵本のたぐいは、その後2度目、3度目のお勤めに出してしまいましたので、確かめようがありません。

シズコさんは、洋子さんのお母さんです。北京での幼い頃のこと、引き揚げのときのこと、戦後の内地での暮らしなどを語るなかで、洋子さんは自分とシズコさんがいかに心の通わない母と娘だったかを示すエピソードを積み重ねていきます。嫌いだ、触りたくもない、見栄っ張りだ、というのは洋子さんからみた場合のこと。シズコさんにとっては、年かさの娘っ子に家事の手伝いをさせるのも、身内の恥を隠すのも、当たり前のこと。この母と娘は、異次元の空間で生きていたのですね。

記憶をたどっていくうちに、おそらく洋子さんは、シズコさんがいかに有能な主婦で、頑張った母親だったかを思い出したのでしょう。だんだんシズコさんが、いい人になっていきます。たぶん呆けたシズコさんにさわれるようになったから、悪いことばかりじゃなかったと思えるようになったのかもしれません。

痴呆症のシズコさんを高い老人ホームに送り込んだ洋子さんは、何度も何度も「私は金で母を捨てた」と書く。繰り返し書くのは、姥捨てへの罪悪感?

やっぱり呆けたら家にはいられなくなるのかなぁ。それはいやだなぁ。でも娘に、捨てるためのお金がなかったら、どうなるのかなぁ・・・そう、私は自分のことだけ考える。

洋子さんのコトバは、サバサバでもない、サッパリでもない・・・なんと形容すればいいのか迷います。言葉としては美しくないのです。ただ、妙な迫力があります。「生まれていこない子供はいるが、死なない人間はいない。」って、ものすごい真理。

一卵性母娘と言われている昨今の母と娘だって、本質的には、シズコさんと洋子さんの関係とそんなに違わないような気がします。むしろ、自分の都合のいいところでだけ、相手とかかわっているぶん、タチが悪いかもしれません。母親にとって娘は白雪姫。「鏡よ鏡・・・」の世界です。何しろテキは若さという最強の武器を持っているのですから。だから、スキあらばその武器を奪ってやろうと娘に擦り寄る。媚びる。娘にとって母親は反面教師。昔はどうだか知らないけど、あんなになっちゃぁ、オシマイよぉ。でも、いると便利だしぃ。

母と娘の関係は、一筋縄ではいきません。この本を読んだ男性の感想を、ぜひ聞きたいものです。

2008/11/29 23:53 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

古典を読む

やっぱり気持ちの問題なんだと思います。すこーし仕事が落ち着いたら、本が読めるようになってきましたから。まぁね、一日中活字とにらめっこしているわけにはまいりません。

なぜかクラシック。倉橋由美子さんの「偏愛文学館」(講談社文庫)の影響も、あります。

中島敦 「ちくま日本文学 012 中島敦」 (筑摩書房)

昔の人は偉かった、なんて言うつもりはありませんが、教養の差は歴然としています。私たちの世代でさえ、漢文の素養はない。高校の教科書に出てきたいくつかの漢詩の一節を、せいぜい三つ四つ、口の端に乗せられれば良い方でしょう。それに引き換え、中島敦は、豊かな知識をもった本物の先生でした。

でも、悲しいですね。わずか33歳の若さで、たった20篇あまりの短編小説を残しただけで、逝ってしまうなんて。

代表作とされる「名人伝」「弟子」「山月記」「李陵」・・・メタボとは無縁の無駄のない文章です。絶対に朗読向き。でも、悲しいですね。ルビが振ってなければ、つっかえつっかえでしか、声に出して読むことができないだろうと思えるのが。

お勉強しなくては!

2008/11/06 23:33 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

ヤバいんじゃないでしょうか

近所の桜も色づき始めて、秋たけなわです。11月。お天気さえよければ、決して淋しい気持にはなりません。今日は快晴。嬉しいこと。

江戸川
江戸川べりの桜も、今年は赤く染まりそう。ちょっとだけですけどね。

このところ仕事が立て込んでいて、Excelシートを1ヶ月半ぶりくらいに開いたら・・・9月の後半から、読んだ本のリストが真っ白でした。全く読まなかったわけではないのです。が、書きとめる作業をさぼっていました。1か月前にどんな本を読んでたんだっけ、と思いだそうとしても思い出せません。このブログも読書の備忘録としては役目を果たしていないし、記録は毎日きちんと残してこそ意味があるのだと、つくづくと思い知らされました。そもそも、その時期、何をしていたのかも覚えていません。記憶力の減退という言葉で片づけるには、あまりにも減退ぶりがひどすぎます。

相変わらず、本屋に行くたびに仕入れをするため、机の周りには、山ほど本が積み上げられているのですが、さてはて。

でも、仕事がひと山越えて、気持に少し余裕が生まれたらしく、本を読むスピードが上がってきました。1週間で4冊も読んじゃった!ただし、リハビリ期間中ということもあり、エンタメ系だけです。

ジェフリー・ディーバー 「魔術師 上・下」 (文春文庫)

久しぶりの海外ミステリー。原題はThe Vanished Man、「消された男」です。

マジックのトリックはどれも、エフェクト=効果メソッド=手段の二つから成り立っているのだそうです。エフェクトは観客の目に映るもの、メソッドはその裏でマジシャンがしていること。一番大事なのはミスディレクション。(誤導と訳されていますがなじみにくいですね。)現実とは正反対のものを見せ、信じさせることだと、捜査に協力する見習マジシャンのカーラは捜査員たちに説明します。思い込みこそ、犯人の味方なのです。
マジックの講義を受けたような気になるお話。

石田衣良 「ブルータワー」 (徳間書店)
       「灰色のピーターパン」 (文春文庫)


ブルータワー」はいちおうSFということになっています。悪性の脳腫瘍で余命いくばくもない主人公の意識が、200年後の世界に飛ばされて、自分の子孫とおぼしきシューとして、破滅に瀕した世界を救うことになります。また、周司も、200年後の世界で罹った黄魔(インフルエンザ)による熱のために腫瘍が焼かれて小さくなり、健康を取り戻して新しい生活へと踏み出していきます。

ミスディレクションのかけらもなく、いろいろと無理の多い作品。仕掛けも、筋立ても、ちょっと苦しい。

灰色の・・・」は池袋ウエストゲートパークの第6作目。マコトくんは相変わらずです。苦もなく読めます。1作目を読んだ時の衝撃(というとオーバーですが)は、もはや期待できません。だって、マコト、サル、タカシにボーイズ・・・すべて、予定調和の世界ですから。

2008/11/01 16:33 | COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

その日

今日は、重陽の節句大安だったし、宝くじを買うのには最適の日だったのかもしれません。が、そういうことにはいつも後で気がつくだけ。あ〜あ、って後で悔むの。

気分的にはすこーし余裕が出てきたようです。週末には、久しぶりに小説を読みました。新しい本もたっぷり買い込みました。夏の仕事がこんなに忙しいはずではなかったので、秋はお芝居のチケットもいくつか取っています。サッカーも見に行きます! 
普段なら、もっともっと、愉しい気持ちになっていいはずなんですけれど・・・体調が回復しないまま、突っ走ってきたので、実はちょっとヤバい状態。

重松清 「その日のまえに」 (文春文庫)
      「みぞれ」 (角川文庫)

このところ、、意識的に重松さんの小説には手を出さないようにしていました。調子の悪い時に、変に感情移入しちゃうと怖いなぁ、と思っていたのです。でも、ようやく「小説でも読もうか」という気分になっても、手強くてごつごつと噛み砕かなければならないような文章は、まだ早すぎます。重松さんの文章のように、するするとアタマとココロに入ってくるものが、ありがたい。

その日のまえには、7つの短編からなる物語です。「ひこうき雲」では、施設に入所しているおばあちゃんを家族と一緒に訪ねる僕が、子供の頃住んでいた町を通りかかって、死んでしまった同級生のことを思い出すお話。主人公にとって、「その日」は遠い昔、あるいは遠からず来る日ではあっても、自分の生活には入り込んでこない。次の「朝日のあたる家」では、突然夫を亡くしてから母娘二人で生きてきたぷくさんが、偶然かつての教え子たちの再出発に立ち会うことになります。そして、第3話の「潮騒」から、いよいよある日突然余命の長くないことを知った人やその家族の物語が始まります。「潮騒」の俊冶は、42歳。余命3か月の宣告を受けて、向かった先はかつて住んだ町でした。俊治は同級生を海で亡くしていたのです。「ヒア・カムズ・ザ・サン」で、宣告を受けたのは母子家庭の母親、45歳。息子がまだ赤ん坊の頃、夫を亡くして、今また自分も、高校生の息子を残してその日を迎えることになってしまうかもしれない。そんな母親は、駅前でゴスペルを歌う高校生を仲立ちとして、自分の病気を息子に知らせる。その過程を息子の目で描いたもの。

そのあとの、「その日のまえに」「その日」「その日のあとに」は、母親がガンの告知を受けた家族のお話です。やっと安定した暮らしができるようになり、幸せを絵にかいたような生活を手にいれたと思っていたのに、妻がガンに冒されてしまいます。子どもたちはまだ小さい。おそらく最後になるであろう外泊が許された時、夫婦は、二人が暮らし始めた町を訪ね、家を見つけ・・・妻の和美は気丈にも「思い出づくりではない。ここから始めたのだから、もう一度ここからやり直したい」と、言うのです。そして、「その日」「その日のあとに」と時間が過ぎていくにつれ、前に置かれた物語たちの登場人物やその家族と、和美の家族が接点を持つことになります。でも、それだけ。かかわりは点でしかありません。それぞれの家族の日々は、「その日」を迎えた人が去っても、それぞれに淡々と続いて行くのです。
…しかし、40代だとつらいなぁ。まだ人生を味わい尽くしていない年代ですものね。

みぞれの方は、そんなに深刻なお話じゃありません。どこにでもありそうなお話11篇の短編集。ロシアン・ルーレットもどきのゲームで自殺を企てる少女、落ちぶれたアイドル、子供の作文をきっかけに砲丸投げを再開する妻、子供のない夫婦のちょっとした嘘、リストラ候補の同期二人、一旦は都会に出てきたものの、不自由な郷里での生活にもどった老夫婦・・・ほら、あなたの隣にも、そういう人はいるんじゃないですか?

作者は、あとがきで、「世間の中から生み出される、暮らしと地続きの『お話』だって捨てたものではない。書き手としての自分は、むしろそちらのほうに強くひかれているのだと思う。」と述べています。社会や流行、体験などすべてが「お話」を生み出す源になるという意味で、「息をするように『お話』を書きたい。」と。

重松さんの文章は、心に嵐が吹き荒れるような文章ではありません。偉ぶったところがないのです。だから、「その日のまえに」のような重いお話でも、するすると心にしみ込んでくるのでしょう。

さて、今年の中秋の名月は15日だそうです。河原で月見でもしましょうか・・・

2008/09/09 23:53 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

9月なんですねぇ・・・

8月後半からの忙しさ、やっていることは面白いといえば面白いのですが、さすがにこの週の後半はボロボロ、ヨレヨレ。Daigoクンなら「もうハンパないっす」というところですかね。それでも痩せないのは、なぜ?

目が疲れすぎて、本が読めません。アイドル雑誌パラパラとめくり、コミック本斜め読み、7月に奈良でみつけた「奈良の寺寺 鑑賞の手引」という冊子を眺めては次に行くところを考えるという感じで2週間。
ネットは・・・そりゃぁ見ますよ。友だちのブログとか、Mixiとか。でも、自分のブログを更新する気力はどこにも残っていませんでしたね。そういう時もあるさ、と割り切って。

西山 厚 「奈良の寺寺 鑑賞の手引」 (フジタ)
地元の出版社が出している、和綴じを模した体裁の冊子です。著者は、文部技官なんですと。
淡々とお寺の来歴を語っているのが、資料としてはとてもありがたい。

大島弓子 「グーグーだって猫である 1・2」 (角川文庫)
昼休みにふらふらと入った本屋で、つい買ってしまいました。コミック版も文庫版も、平積みになっていました。映画も公開されますし、メディアミックスというわけね。
翌朝(だって、家に帰るのは日付が変わってからだし)、ムスメに「買ってきたよ」と言ったら、「持ってるでしょ?」 確かに、コミック版が書棚にありました。そうか、読んでいたのか・・・
1はほとんど記憶になかったのだけれど、2はそういえば、「大島さん、病気だったんだね」とムスメと話をしたような記憶がよみがえってきました。動物ものとしては、今市子さんの「文鳥様とわたし」シリーズの方が、インパクトがあるような気がします。たぶん、猫は私の身近にいるので、いろんなことが当たり前になってしまっているからだと思うのですが。

アイドル雑誌は、KAT-TUNのコンサートレポートだけを見る。東京ドームのコンサートで買ったポスター、どこに貼ろうかな。

2008/09/07 00:00 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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